保育士 過去問
令和7年(2025年)前期
問64 (社会福祉 問4)

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問題

保育士試験 令和7年(2025年)前期 問64(社会福祉 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

次の【Ⅰ群】の歴史的事象と、【Ⅱ群】の説明を結びつけた場合の正しい組み合わせを1つ選びなさい。

【Ⅰ群】
A  新救貧法
B  セツルメント
C  恤救規則
D  ベヴァリッジ報告

【Ⅱ群】
ア  貧困は環境や社会環境に原因があるとする立場から、スラム街などで青少年の健全育成や職業訓練などを直接的に行い、地域社会を改善していこうとした。
イ  血縁や地縁などの無い窮民に対してのみ、最低限の公的救済を行ったが、救済の責任は、本来は血縁や地縁などの人情的なつながりにあるとした。
ウ  窮民の援助は、最底辺の労働者の生活以下の水準にとどめるという「劣等処遇の原則」を打ち出し、働ける者には強制労働を課した。
エ  貧困を生みだす要因に対して、福祉国家として、新たな社会保障システムを提案した。
  • A:ア  B:イ  C:ウ  D:エ
  • A:イ  B:ア  C:エ  D:ウ
  • A:イ  B:ウ  C:エ  D:ア
  • A:ウ  B:ア  C:イ  D:エ
  • A:ウ  B:エ  C:イ  D:ア

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この過去問の解説 (2件)

01

日本および海外の社会福祉制度の歴史に関する問題です。

選択肢4. A:ウ  B:ア  C:イ  D:エ

正解です。

 

ア  貧困は環境や社会環境に原因があるとする立場から、スラム街などで青少年の健全育成や職業訓練などを直接的に行い、地域社会を改善していこうとした。

B  セツルメント

学生や宗教家が、スラム街や貧しい地域を訪れ、直接支援を行うことです。日本でも行われていました。


イ  血縁や地縁などの無い窮民に対してのみ、最低限の公的救済を行ったが、救済の責任は、本来は血縁や地縁などの人情的なつながりにあるとした。

C  恤救規則

日本で最初の公的な福祉制度が恤救規則(じゅっきゅうきそく)です。今の生活保護法です。

政府が福祉制度を出したものの、周囲に頼れる人がいない等、支援を受けられる年齢や対象に制限がありました。


ウ  窮民の援助は、最底辺の労働者の生活以下の水準にとどめるという「劣等処遇の原則」を打ち出し、働ける者には強制労働を課した。

A  新救貧法

イギリスでは、エリザベス救貧法で世界最初の公的な社会福祉支援を打ち出しました。

その後もさまざまな支援政策が出されましたが、課題も多く残りました。

課題のひとつが、貧困者への支援の対象を広くしすぎてしまい、納税者がかえって苦しむ結果となってしまったり、労働への意欲が低下してしまったことです。

それを受けて援助の条件を厳しくしたのが、新救貧法です。


エ  貧困を生みだす要因に対して、福祉国家として、新たな社会保障システムを提案した。

D  ベヴァリッジ報告

第二次世界大戦中のイギリスで発表された、包括的な社会保障制度についての報告書です。戦後の福祉国家建設の基礎となり、この報告に基づく政策は後に「ゆりかごから墓場まで」として知られるようになりました。

まとめ

私たちが生活を営むうえで、公的な福祉制度は大切です。

歴史的な面も覚えておくのが好ましいです。

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02

社会福祉の歴史についての問題です。特徴を覚えておきましょう。

選択肢4. A:ウ  B:ア  C:イ  D:エ

A:ウ 新救貧法の特徴の一つが「劣等処遇の原則」で、救済を受ける人が、税を納める労働者の水準より低くし、働ける人は、強制的に働く環境に置かれました。

 

B:ア セルツメンとは、貧しい人と共に生活することで、抱えている問題を解決するために運動することです。

 

C:イ 恤救規則は、日本初の公的救済制度で、家族や親族など、誰からも援助が受けられない人が対象でした。

 

D:エ ベヴァリッジ報告は、ウイリアム・ベヴァリッジが作成した社会保障制度についての報告書です。国民が生まれてから死ぬまでの一生涯にわたり、安定した生活ができるように提案されました。

 

 

以上のことからこの選択肢は正答です。

 

 

まとめ

社会福祉制度の歴史は、現在のどのような制度につながっているのか理解しておきましょう。

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