保育士 過去問
令和7年(2025年)後期
問10 (保育原理 問10)
問題文
次の文は、日本の保育施設の歴史についての記述である。(a)~(d)の下線部分が適切なものを○、不適切なものを×とした場合の正しい組み合わせを1つ選びなさい。
1880年代後半より(a)新潟静修学校の保育室をはじめ、各地に民間の託児所が創設されていった。その例として、(b)父親が就労するために設置された工場附設の託児所、貧困家庭の幼児を受け入れた「貧民幼稚園」などがあげられる。
第一次世界大戦後、物価の高騰により人々の生活は窮迫し、託児所の設置は社会政策上の課題となった。そのような中、都市の貧困層の幼児を対象に公立の託児所も設置され始め、1919(大正8)年に大阪市で最初の公立託児所がおかれた。1947(昭和22)年の「児童福祉法」の制定により、これまでの託児所の多くは(c)児童福祉施設の一種として位置づけられ、(d)内務省が所管する「保育所」となった。
1880年代後半より(a)新潟静修学校の保育室をはじめ、各地に民間の託児所が創設されていった。その例として、(b)父親が就労するために設置された工場附設の託児所、貧困家庭の幼児を受け入れた「貧民幼稚園」などがあげられる。
第一次世界大戦後、物価の高騰により人々の生活は窮迫し、託児所の設置は社会政策上の課題となった。そのような中、都市の貧困層の幼児を対象に公立の託児所も設置され始め、1919(大正8)年に大阪市で最初の公立託児所がおかれた。1947(昭和22)年の「児童福祉法」の制定により、これまでの託児所の多くは(c)児童福祉施設の一種として位置づけられ、(d)内務省が所管する「保育所」となった。
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問題
保育士試験 令和7年(2025年)後期 問10(保育原理 問10) (訂正依頼・報告はこちら)
次の文は、日本の保育施設の歴史についての記述である。(a)~(d)の下線部分が適切なものを○、不適切なものを×とした場合の正しい組み合わせを1つ選びなさい。
1880年代後半より(a)新潟静修学校の保育室をはじめ、各地に民間の託児所が創設されていった。その例として、(b)父親が就労するために設置された工場附設の託児所、貧困家庭の幼児を受け入れた「貧民幼稚園」などがあげられる。
第一次世界大戦後、物価の高騰により人々の生活は窮迫し、託児所の設置は社会政策上の課題となった。そのような中、都市の貧困層の幼児を対象に公立の託児所も設置され始め、1919(大正8)年に大阪市で最初の公立託児所がおかれた。1947(昭和22)年の「児童福祉法」の制定により、これまでの託児所の多くは(c)児童福祉施設の一種として位置づけられ、(d)内務省が所管する「保育所」となった。
1880年代後半より(a)新潟静修学校の保育室をはじめ、各地に民間の託児所が創設されていった。その例として、(b)父親が就労するために設置された工場附設の託児所、貧困家庭の幼児を受け入れた「貧民幼稚園」などがあげられる。
第一次世界大戦後、物価の高騰により人々の生活は窮迫し、託児所の設置は社会政策上の課題となった。そのような中、都市の貧困層の幼児を対象に公立の託児所も設置され始め、1919(大正8)年に大阪市で最初の公立託児所がおかれた。1947(昭和22)年の「児童福祉法」の制定により、これまでの託児所の多くは(c)児童福祉施設の一種として位置づけられ、(d)内務省が所管する「保育所」となった。
- a:○ b:○ c:× d:○
- a:○ b:× c:○ d:×
- a:× b:○ c:○ d:×
- a:× b:○ c:× d:○
- a:× b:× c:○ d:○
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この過去問の解説 (2件)
01
保育施設が現代のような形になるまでは、時代に合わせて変化してきた過程があります。
勉学や仕事のために小さい子どもを「預かる」ところから始まったとされています。
(a)新潟静修学校 → 〇
自分の弟や妹の子守りをしながら勉学に励む子どもたちのために、
新潟静修学校保育室が作られました。
(b)父親が就労するために設置された → ×
近代化に伴って女性が工場で働くようになり、工場に附設された託児所ができました。
(c)児童福祉施設 → 〇
戦後、児童福祉法が制定され、託児所が児童福祉施設に位置づけられました。
(d)内務省が所管する → ×
1947年の「児童福祉法」の制定により、これまでの託児所の多くは児童福祉施設の一種として位置づけられ、内務省ではなく、厚生省が所管する「保育所」となりました。
なお、2023年4月からは、こども家庭庁が所管しています。
誤りです。
正解です。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
日本の保育施設は、貧しく子守りをしながら勉強をする子どもや、
工場で働く女性のために作られたことから始まり、時代のニーズに合わせて変化してきました。
国によってつくられたのではなく、民間での取り組みが始まりであることを覚えておきましょう。
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02
日本の託児所・保育所の黎明期から戦後の児童福祉法制定に至る歴史の流れと、当時の時代背景・所管官庁の正確な知識を問う重要問題です。
1880年代後半より(a)新潟静修学校(○)の保育室をはじめ、各地に民間の託児所が創設されていった。その例として、(b)父親が就労するために設置された(×)⇒母親工場附設の託児所、貧困家庭の幼児を受け入れた「貧民幼稚園」などがあげられる。
第一次世界大戦後、物価の高騰により人々の生活は窮迫し、託児所の設置は社会政策上の課題となった。そのような中、都市の貧困層の幼児を対象に公立の託児所も設置され始め、1919(大正8)年に大阪市で最初の公立託児所がおかれた。1947(昭和22)年の「児童福祉法」の制定により、これまでの託児所の多くは(c)児童福祉施設(○)の一種として位置づけられ、(d)内務省が所管する(×)⇒厚生省(現・厚生労働省)「保育所」となった。
(a)新潟静修学校
子守りをしながら勉強に来る貧しい児童のために、連れてこられた幼い弟や妹を預かったことが日本の託児事業の始まりとなりました。
(b)父親が就労するために設置された⇒母親
工場附設の託児所は、工場で働く母親が就労できるよう設置されたものです。
明治時代の産業革命期、工場で働く主力労働者は多くの女性でした。
母親が安心して工場で働けるよう、労働力を確保するために工場附設の託児所が作られました。
(c)児童福祉施設
1947年の児童福祉法の制定により、それまでの託児所は児童福祉施設として法的に位置づけられました。
(d)内務省が所管する⇒厚生省(現・厚生労働省)
戦前の警察・治安などを統括していた内務省は、戦後(1947年)GHQによって解体・廃止されました。
社会福祉や児童保護行政は、1938年に新設されていた厚生省が引き継いで所管しました。
保育所の歴史は「働く女性・貧困家庭の子どもを守るための施設」として始まったという背景を理解していると、「母親の就労のため」という事実が自然と導き出せます。
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